プロフィール

名前:みなと

出身:長野県

年齢:28歳

現在住んでいる所:愛知県名古屋市

趣味:ブログ、カメラ、旅行、温泉、Apple製品、仮想通貨

経歴

なんちゃって進学校を卒業後、国公立大学へ入学。大学時代は将来特にやりたいこともなく、なんとなく4年間を過した後、地元長野では割と有名な塾の講師として就職。その後、インターネットに可能性を感じ、Webマーケティングコンサルタントとして転職。今に至る。

長野の田舎で生を受ける

貧乏ではないが裕福でもない、至って普通の家庭の長男として生まれました。

今となってはほぼ記憶はありませんが、祖父母にとっては初孫だったので、かなり可愛がられていたのはなんとなく覚えてます。両親によると、食べたものをすぐ吐き出していたそう。笑

いわゆる”普通”の子供だった小学時代

スポーツができた訳でもなければ、勉強ができた訳でもない。友達も多かったとは言えないし(今もだけど)、得意なことがあった訳でもない。ゲームしたり、外で遊んだり。これまた記憶が薄くなっていますが、逆に何していたんだろう、と自分でも聞きたいですね。

一応習い事は「ビームライフル」を約3年ほどやっていました。20メートルくらい離れた、直径20cmくらいの電子の的に、光弾を放つライフルで狙う競技です。両親が「集中力が鍛わるから」という理由で半ば強制的に通わされましたが、嫌いではありませんでした。

謎のプライドと不真面目さが現れた中学時代

勉強に打ち込んだ

中学校は定期テストでは順位が出ますよね。一番最初の中間テストで、「学年120人中、56位」という結果が、妙に悔しかった記憶があります。そこから勉強に励み、次の期末テストでは20位にまで順位を上げました。それがとんでもなく嬉しく、ますます勉強に打ち込み、次のテストでは学年10位を達成。それから中学卒業までは、常に学年トップ7に君臨(自慢ですw)してました。

僕を勉強机へと突き動かしたもの。それは「プライド」でした。「順位を落としたくない」という、ただそれだけのモチベーション。特に将来やりたいこともありませんでした。

不登校のヤツと仲良くなる

田舎の中学校だったので、生徒は各地いろんな場所の小学校(6小学校)から集まっていました。そのうちの一つの小学校は、中学校から30キロほど離れた山奥。中学校に行くには、スクールバスで峠を超え、1時間以上かけて通学していた同級生もいました。

そんな気の毒な同級生の中に、「遠い」からという理由でよく学校を休んでいたヤツが一人いました(以降、T君)。T君はかなり不真面目な性格で、協調性もなく、休んでいるから勉強も出来ません。ただ、他人に迷惑をかけようとする悪いヤツではなく、友達は多く喋ると面白いヤツでした。

中2。僕はT君と同じクラスになり、仲良くなりました。僕の家は中学校から徒歩10分のところにあったこともあり、彼がバスを待つ間はウチによく来ました。土日も遊んだ記憶があります。

T君と一緒に過ごすことが多くなったことで、彼の「不真面目さ」が一部僕にも移っていました。それまでクソ真面目な僕でしたが、程よく手を抜くこと、適当にやることを覚えました。ただ、勉強だけは手を抜かなかったです

T君とは今も交流があります。たぶん「2x+3x= 」も出来ないと思ういますが、生きていく上で頭は良いです

目的も無く勉強し続けた高校時代

青春時代の「せ」の字もない(「せ」はあったかもしれない)くらい、勉強しかしていませんでした。中学時代の謎のプライドは健在でした。

ただ勉強をする目的も、将来の夢もありませんでした。なんとなく普通科に入り、周りが大学進学を目指しているから、自分もそうなるのかな、という感じ。朝早く学校に行って勉強。授業後も自習室で勉強。家に帰ってからも勉強。

そんなんであっという間に受験生。家庭はそんなにお金はないことは分かっていたため、国公立大学一本で受験し、合格しました。

何も考えず過ごした大学時代

ひたすら遊び、一人の時間を愛した

大学3年生までは、本当に何も考えずに遊んびました。来る日も来る日も友達と飲み、ゲーム、買い物、麻雀…。勉強はテスト前に最低限やるだけ。特に成績もこだわらなくなりました。

一人の時間を過ごすことが好きになったのはこの頃でした。よく街へ一人で買い物をしに行ったり、喫茶店に入って読書したり、一人で九州を一周する旅をしたことも。

一人で過ごす時間が増えたから、気の向くままに生きていきたいと思うようになったのか、気の向くままに生きていきたいと思うから、一人で過ごす時間が増えたのか、因果関係は分かりません。ただ「周りに縛られず、気ままに生きたい」と思うようになったことは確かでした。

就活開始

大学3年の12月、いよいよ就活が始まります。それまでの21年間、将来について真剣に考えてこなかった僕は、正直どうすればいいか分かりませんでした。ただ、僕はそれでも真剣に考えようとはしませんでした。それは「将来やりたいことがなかった」ことが大きいです。

とはいえニートになる訳にもいかなかったので、僕は就活を始めることに。もともと塾や家庭教師でアルバイトをしていたことと、教育免許を取得見込みだったこともあり、試験を受ける業界は塾に絞りました。

就活を初めて2ヶ月半、内定が出ました。地元長野ではそこそこ有名な塾で、僕はそこに入社を決めたのです。理由は「もう就活やりたくないから」という、色んな人に殴られても良いような適当なものでした。大学を卒業し、社会に出ました。

一大決心をした塾講師時代

入社してからは

中学部に配属となり、理科や数学をメインで教えました。同期は8人、先輩も優しく、みな良い人で、人間関係で悩むことはありませんでした。夏期講習は1日最高8コマほど授業があるときもあり、休日出勤もあり忙しかったですが、持ち前の器用さで何とか卒無くこなしました。給料は新卒にしては良く、一人暮らしでしたが、ある程度贅沢も出来ました。決して楽しい訳ではなかったですが、特に不自由もない、”安泰な”人生が幕を開けようとしていました。

2年目となり、割と仕事にも慣れてきた頃。T君と会うことになりました。

それまで彼とはちょくちょくとご飯に行っていましたが、この日のT君の一言が、僕の人生の風向きを変えることになります。

疑問を抱き始めた社会人2年目

「一生雇われの身はごめんだ」

味噌煮込みうどんを食べながら、彼はそう言いました。

「誰かのもとで社畜のようにこき使われながら、来る日も来る日も自分の時間を切り売りし、お金に変えて生きていくだけの人生。絶対無理だよな」

僕はそれまで、自分の働き方に疑問を思ったことはありませんでした。この先40年間の大半の時間を、会社の命令に従い、好きでもないことに使わなくてはいけない未来が見えた気がしました。自分が大学時代に思い描いた、”気ままで自由な人生”と”現実”はかけ離れていました。

僕は初めて人生を真剣に考え、転職することを決めました。

転職活動開始

それから、今の働き方、今の仕事を続けていては将来的にマズイと思った僕は、インターネットで情報を探し漁っていました。「アフィリエイト」「SEO」などの言葉を初めて知ったのはその時。僕はインターネットの世界に興味を持つようになり、これらが学べる会社で働きたいと思いました。しかし、長野ではそういう会社はなく、東京に集中していました。流石に上京する勇気はなかったので、名古屋で見つけ、転職しました。

そして現在

今はWebマーケティングのコンサルタントとして働いています。簡単に言えばWebを通して売れる仕組みをつくるアドバイザーのようなもの。スキルはまだまだですが、将来Webで自分の力でお金を作り出し、会社に雇われない生き方をしていく上で、そのような知識を働きながら学べる良い環境であることは間違いないです。

しかしベンチャー企業なので、給料はかなり減りました。ボーナスもなし。前のように贅沢はできなくなりましたが、後悔はしていません。

仕事後や休日は、Webの勉強などに精を出し、投資の時間を多く設けるようにしています。今は学生時代のように、無目的に変なプライドで勉強はしていません。時間は有限だと常に危機感を抱き、将来の自分のために勉強しています。これからも続けていくつもりです。

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