【経営者と労働者】両者の目線が違いすぎてまるで水と油かよ、と思った話

こんにちは。みなとです!

雇われの身って理不尽で辛いことばっかりですよね。サービス残業、有給休暇使えない、上司とクライアント間の板挟み…。お金を稼ぐというのは思った以上に大変だし、社会人って思ったより全然楽しくないと、社会人4年目にして感じています笑。

僕は労働者としての経験しかないですが、社長をはじめとする経営者だって大変だと思うんです。会社が潰れたら莫大な借金を抱えることになるプレッシャーと戦いつつ、いかに労働者と上手く折り合いをつけ、生産性を上げ、結果を出せるか。採用もコストだし、教育もコスト。計り知れないくらいの仕事量を抱えているのに、(僕みたいな)不満タラタラの労働者の世話もしなきゃいけない。いやーすごいな、と思います。

僕は労働者としてある会社に勤めているのですが、つくづく「経営者と労働者とが同じ目標に向かって進む」ことが難しいんじゃないか、と感じます。

経営者と労働者の間に、常に感じる温度差

会社には経営方針だとか、社訓だとか、社長の目標だとか、「会社が目指す姿」みたいなものがありますよね。経営者はそれをよく口にするし、会議では社員に唱和させたりする。例えばうちの会社では、年1回の全体社内研修みたいなものがあります。そこでは、会社の目標を達成するには、具体的にどんなことがことが必要で、どんな課題があり、どんな改善策を講じるべきかなど、深く掘り下げて議論し、行動に繋げよう、みたいなことをしています。

でもこれって完全に「やらされてる感」があるんですよね。

経営者が「◯◯しようぜ!」と言って、経営者が「目標を達成するには何をすべきか考えよう!」と言って、経営者が「じゃあそのために今日から◯◯しよう!」と言う。完全に一方通行。僕らはただの言いなり。そんな風に思っているの、経営者だけなんじゃないの?とも思います。

にも関わらず会議や研修は繰り返されます。そうすると「会議や研修をする度に社員のモチベーションが下がる」ことに繋がるんですよね。もはや本末転倒。

僕は現在の会社の前には、ある程度大きな企業に勤めていました。月1回、社員全員参加で開かれる全体会議では、社長が色々と熱く演説するわけです。

でも、全体会議が終わって「良し!頑張ろう!」みたいな気持ちになっている社員は全く見たことがない。やる意味あるのか、むしろやらない方が良いんじゃないのか、って思ってました。

そりゃあ、研修とか会議とか、やらなきゃ会社のまとまりが無くなっちゃうとは思うんですけどね。それに、経営者が語る内容もその通りだと分かっています。

でも実際は逆効果。こんな様な、経営者と労働者の温度差を痛感しているのは、恐らく僕だけではないと思います。これは何故なのでしょう?

最近耳にした印象的な言葉

最近聞いた言葉の中で特に印象に残っている言葉があります。

「最小限の賃金で最大限の生産性を出したい経営者と、最小限の労働力で最大限の報酬を得たい労働者」

僕はこの言葉を聞いて、先程の疑問が少し解消されたように思えました。

経営者は「経費や人件費などのコストをできるだけ抑え、最大限の成果や生産性を生み出したい」と思っています。一方で労働者は「極力働かずにお金欲しい」と思っています。全く正反対の主張じゃないですか?

考え方が正反対の経営者と労働者が、会社という箱の中で、共に同じ目標を持って仕事取り組もうとする。当然、両者の間に温度差が生じるのは自然じゃん?と思うわけです。

会社の目標があります。それを達成しようと皆で頑張るとします。ただ、それは経営者都合。労働者にとっては、「そうしたところで給料でも増えんのか」と思う訳です。特に今の若者(僕も含め)は仕事に対して非常にドライですからね…。上司が残っていようと、残業なんてしない訳です。だってメリットが無いですから。

もちろん、経営者はこう言います。「短期的にはそうかもしれない。ただ皆のパフォーマンスが上がれば、一人当たりの売上も上がる。社内の人間関係が築ければ、チームワークが生まれる。結果として君の給料が上がったり、スキルが身につく。巡り巡って、君のためなんだ」

そうなんですけどね。会社のために頑張ることは、巡り巡って自分のためになるんです。皆大人だから、それくらいは分かっていて、むしろ皆本当はそうしたいとさえ思っています(と思います)が、どうしても自分ごとに捉えられないから、やる気が出ない。

経営者はとっては自分の会社。だけど労働者にとっては所詮、他人の会社。愛着とかそういう次元の差なのかもしれませんね。

経営者と労働者の目線の違い

両者の考え方の違いについて色々と書いてきましたが、見えているものも違います。

これはよくビルに例えられますね。労働者がいるのはビルの1階。経営者がいるのはビルの10階。経営者は高いところから辺りを見渡せるから、向こうの方から雷雲が迫ってきているのが分かります。だから、そろそろ通りの屋台を屋内へ撤去しようとか、全体を俯瞰しての判断ができる。

しかし労働者がいる階層は低いので雷雲が見えず、目の前の状況しか認識できません。目の前にお客さんが居て、売れ行きもいいから、屋台は出しておいた方がいいのでは、と思ってしまいます。でもお客さんと接する機会が多いから、現場をよく知っているのはむしろ労働者の方。両者はそんな風に見えている世界も違います。

経営者は俯瞰的な目で全体を見渡し最適な経営判断を行い、労働者は現場でお客さんと対峙し、会社を支える。そんな構造が適切であると、僕は教わりました。

しかし、そんな構造が逆に仇となっていると最近は思うんです。

上の例えがビルではなく、嵐の中を進む船だったらどうでしょう?荒波の海の中、船長は船の一番高いところにいます。船長には遠くの島が見えています。「もうすぐだ!頑張れ!」とクルーに叫び、彼らを励まそうとしています。

しかし、クルー達には船長の言葉が響きません。クルーは必死に帆やオールを操り、船を進めようとしています。しかし波が高く、先が全く見えない状況。いつ陸に上がれるのか、いつ休めるのか、どこに向かっているのかさえも分からない。それに、この船は彼らのものでもない。「いや、そんなこと言われても頑張れるか!」ってなる。

船の場合は沈んだらヤバいからそうはならないでしょうが、会社が潰れたところで死ぬ訳じゃない。特に若者は他にも転職先は色々あるだろうから、痛くもかゆくも無い(いや、かゆいくらいが正しいかな)。

じゃあどうするか?27歳の僕が決意したこと

「今後40年間ずっと、会社で雇われの身として働くのか?」

いや、それは絶対にない。

「今すぐ会社辞めるか?」

辞めようと思えば辞められるけど、それからどうする?

「起業でもするか?」

簡単に言うけど、そもそもそんな知識、資金、人脈、自己ブランドはない。そもそも会社が嫌なんだから、経営者になりたいわけでもない。

など色々と考えた結果、「フリーでやっていく」という選択肢が挙がりました。雇われの身ではないけど、会社を経営している訳でもない。そんな働き方が、僕には一番合っているのではないか、と思いました。もちろん簡単ではないと思いますし、会社という社会的な保護が無くなるので、むしろ厳しい世界だとは承知しています。

具体的なプランはおろか、そもそも何のフリーかすらも決まっていません。しかし、その第一歩としてWeb資産を構築するところから始めようと思い、本ブログを立ち上げた次第です。

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